コラム

ビジネス最前線

第10回 「ベンチャー初めて物語」

ベンチャー企業家に「最初に旗揚げした場所はどこですか?」と質問をすると、地名とビル名、何階の何号室で・・・と当時の思い入れと苦労を抱えて悩んだ光景を浮かべながら答えてくれる。

事業家としての自分の発祥地は産声をあげた誕生物語のスタートラインなのだから記憶も鮮明である。そして、「当時は目の前の事に一生懸命で無我夢中でした。」と口を揃えて言う。加えて「必死に頑張っていると助けてくれる人が現れたり数々の奇跡が起こるもんですね。」とも言う。

あまり知識がなかった業界に新規参入したり、その業界の常識破りにチャレンジしていると、「この会社は、この人は、いい事をしてくれそう。」と親衛隊のようなファンが顧客となってやって来るようだ。そして顧客が必要不可欠と思えた商品やサービスを与え続けたベンチャーは認知され次の世代のスタンダードになる。今回は、そんなファーストフード業界のベンチャー史をご紹介しましょう。

今から35年も前の1971年7月21日、東京は銀座4丁目にあのマクドナルド一号店がオープンした。当時はハンバーガーも珍しく、おまけにファーストフードという注文してすぐに歩きながら食べるなんて文化はまだ常識ではなかった。もう一つの型破りは日本一のブランドの銀座三越百貨店にテナントで入ってスタートした事だった。

銀座三越への説得に創業者の藤田田社長は一年かかったという。しかしその一年前から始まって今では定番の銀座歩行者天国で人々が賑わって歩いているのを見据えての戦略だった。テナント契約をしたのもつかの間、問題が生じた。やはり、ブランドの三越側が「工事を店の前でしてもらっては客の妨げになるので・・やはり、この話は無かったことに・・・」と大儀をもって断ってきた。

そして普通の事業家ならあきらめるであろうこの時に奇跡のベンチャーパワーで乗り越えたのである。本来なら45日かかる店舗工事を、客の妨げにならない三越の定休日を挟んで39時間以内に約20坪の日本初のマクドナルド店を完成させたのである。そして開店後一日200万円という売り上げも常識を覆したベンチャー魂の奇跡だった。三越も大入りの客の恩恵を受けたであろう。

その後何千店にも全国に展開したのはご承知の通りだが、私もこの時の藤田氏の無我夢中の勇気と決断がなければファーストフード業界がもう少し遅れていたかもしれないとさえ考える。

ファーストフードになった高級食といえばやはり回転寿司であろう。その始まりはハンバーガーよりずっと古く、1958年、今から50年近くも前なのである。場所は東大阪市足代、当時元禄寿司の白石会長が人手不足の解消と客への効率的な寿司の提供を考えた末のベルトコンベヤー方式だったが、曲がるコーナーをどうするかに苦労をする。

今では当たり前に曲がるコーナーは、その時白石氏が真剣に悩んだ末のトランプ遊びの扇形から奇跡のヒントを得たそうだ。店は一皿4貫50円で大繁盛し、その後1970年の万博にも出店していたという。「寿司は回転するもの」という現在の子供の常識も寿司も今や世界中で回っている。

同じく1970年代初めに、日本に定着するはずが無いと言われて一千店舗以上になったのがミスタードーナッツとケンタッキーフライドチキンだ。ダスキンが新事業として手掛け、全国へのフランチャイズ形式の元祖ともいわれるミスタードーナッツ第一号店は大阪の箕面駅前で現在も営業している。

反対に当時勢いよく店の隣に君臨したダイエーは今はもう無い。ケンタッキーフライドチキンは、当時まだ車社会で無い日本においての大型ショッピングセンター駐車場での開店は失敗続きだったそうだ。立地もさることながら、店の外観もよく散髪屋と間違えられたとか。120円の高いフライドチキンになじみも無く苦労して大成したファーストフードベンチャーだ。

マクドナルドの藤田氏の「人間12歳までの食は潜在意識となり一生食べるものとなる」という理論通り、ベンチャーが仕掛けたファーストフードは確実に定着している。

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