コラム

ベンチャー経営者奮闘伝

第01回 「エスケイジャパン」 久保敏志社長

第一回目の今回ご紹介するのは、昨年大阪証券取引所の新市場部に第一号の上場を果たしたエスケイジャパンの久保敏志社長です。ゲームセンターに行くと必ずといっていいほど見かけるクレーンゲーム。親子連れからカップルまで幅広い層に対応できる点が人気の原因だが、もう一つ景品のユニークさも見逃すことは出来ません。今回紹介するのは景品用のキャラクターグッズを製作・販売しているエスケイジャパンの久保敏志社長です。九州から裸一貫で大阪に出て、成功者となった久保社長の行動には成功者に欠かせないポイントが凝縮されています。

昨年8月に大阪証券取引所の新市場部に第1号の上場を果たしたエスケイジャパンの久保敏志社長は昭和36年生まれの39歳。社長が若ければ会社も平成元年設立と若い。現在は年商約40億円、経常利益4億円弱と着実に成長を続けている。ゲームセンターでよく目にするクレーンゲーム用景品の製造・販売が主業務だ。ドラえもんや天才バカボンといった人気アニメーションのキャラクターから阪神タイガースの野村監督の人形までその全てが、同社の製品だ。久保社長は九州は五島列島の出身。黒牛の肉牛と農作物を作る農家に生まれた久保社長は、幼い頃から学業よりも家業の手伝い優先という環境で育つ。小学生の頃には新聞配達に加えてヤクルトの配達から新聞の集金業務までをこなすという働き振りであったのだが、小学生でココまで数多くこなしていたのには理由がある。当時久保少年は学校帰りの道すがら新聞を配っていたのだが、新聞を取っている家庭とヤクルトを取っている家庭とがシンクロしていることに気が付いたのだ。これならば、一緒にこなしたほうが効率はいいのではないだろうか、と考えたのだ。幼い頃から商売のツボを見分ける眼が備わっていたのだろう。

高校を卒業後、福岡市内のキャラクターグッズを扱う玩具問屋に勤務した。26歳のとき大阪営業所長に就任、買い付けを担当した。商売の町大阪で商売の厳しさを叩き込まれたことが、その後の久保社長の大きな財産となっているという。 ビジネスで培った自分の理論を実践しようと考え、28歳にして独立を果たす。資金となったのは購入していたマンションを売却して得た差額の500万円だけだった。当然ビルを借りたりする余裕もない。 以前からの取引先の好意でその一角を間借りしての旗揚げだった。メーカーからぬいぐるみや雑貨を仕入れ、大阪市内の現金問屋に売りさばく。そして、その現金を手にメーカーを訪れ次の商品を仕入れるという文字通りの自転車操業だった。そんな久保社長にとって勝負するためには良い商品を安く販売すると言う商売の原点に沿っていくことしかなかったようだ。とはいっても個人の力には自ずから限界がある。サラリーマン時代に取引もあり、独立の意思を告げたときに「応援したるわ」と言ってくれた26社のメーカーのうち、実際に取引を続けてくれたのはわずかに5社だった。資金繰りは瞬く間に悪化、手持ちの資金も底が見えてきた。

そんな逆境の中で、商売のヒントを掴む。大阪府八尾市にある万代百貨店に取引を申し込みに行った時のことだ。当時万代百貨店は納入に当たっては問屋窓口を一本化しており,そこを紹介するからそちらに持っていってくれ、ということになったのだ。こうして訪れた先で久保社長が取り出した商品を見たその問屋の社長は「久保さん、今はこんなものが売れてるんですわ」と言ってキティーちゃんのイラストが入った雑貨の数々を見せてくれたのだ。 なるほど、と思い、その問屋の社長に実際にその商品を製造している富山県のメーカーを紹介してもらう。担当者が大阪に来たときに久保社長の事務所へ寄ってもらうこととなった。しかし、実際に訪ねてきた担当者は絶句してしまう。看板一つ出ておらず、名刺をセロテープで留めただけの入り口に、別の会社の事務所に机二つを並べただけの事務所を見てしまっては「久保さん大丈夫ですか」となってしまうのも無理からぬ所だろう。しかし、最後は久保社長の熱意に負ける形で契約した。

ここが、久保社長のビジネスを大きく発展させる分岐点となった。商品を仕入れた翌月末に代金を支払うという掛売り契約を結んだために、最長で60日の猶予期間が生まれたのだ。ここから経費も捻出できるようになり、行動範囲も一挙に拡大できた。こだまの停車駅ごとに下車して営業するのだ。100円均一セール品という目新しさも手伝い売上げは一挙に伸びたのだ。独立4ヶ月後の初決算は売上げは3000万円。経常利益でもわずか17万円とはいえ黒字を出したのだ。 続いて久保社長が打った手は東京への進出だった。当初は通常の卸しルートを当たったが苦戦を強いられた。しかし、何気にデパートの屋上でクレーンゲームを目にした瞬間、久保社長は閃いた。当時「ゲームセンター」と呼ばれるアミューズメントパークで使用されている景品は麻雀の牌を象ったぬいぐるみなど「田舎の温泉地の土産物」のような景品が中心だったという。そこに、キティーちゃんのぬいぐるみや雑貨を持ちこんだのだから、アミューズメントパーク側はすぐに注文を出した。ちょうど、クレーンゲームが爆発的ヒットの兆しを見せていたタイミングの良さもあって、この営業戦略は大当たりする。業績も急拡大したのだ。

独立から4年目には大阪市内に自社ビルを建設するまでに成長したのだ。 「常に現場を回って最新の動向には注意しています。もちろん若い社員から『社長今はこんなのが流行っているんですよ』と教えられることも多いです」こう話す久保社長にはヒット商品も数多い。ドラえもんや天才バカボン、おそ松くんなど一度は目にしたことのあるキャラクター商品は久保社長が仕掛け人だったのだ。 最近では昨年阪神タイガースの野村監督も商品化、携帯電話ストラップやキーホルダーなど大阪を中心に大ヒットさせたのだ。 「こちらはタイガースの成績に大きく左右されるので、祈るような気持ちで応援していますわ(笑)」商品のヒットサイクルが短くなっていく中では、メインターゲットである若年層と同じセンスを持った若手社員の重要度は高い。そのため、社内で定期的に新製品の企画を募り、優秀者には表彰するなどの制度も導入している。少しでも、会社を自分で作っている、という感覚を持ってもらうためだ。今後はより幅広い消費者に訴求していくためにも企画力や営業力の底上げを行っていきたいとする久保社長は上場企業の経営者となった現在でも「挑戦」の毎日だ。

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