コラム

ベンチャー経営者奮闘伝

第03回 金メダリスト 中野真理子さん

今回登場するのはモントリオールオリンピックで金メダルを獲得した日本女子バレーチームで当時キャプテンを務めていた中野(旧姓:岡本)真理子さんです。このときの日本女子バレーチームは予選から1セットも落とすことなく金メダルを獲得した伝説の最強チームです。当然そこには血のにじむような超人的な努力があったといいます。スポーツマンとして、一女性として常に人生をまっすぐに見据えてきた中野さんの言葉は、現役を退いて20年以上たつ現在でも財界人・教育者などに大きな感銘を与え続けています。

「スポーツマンである以上に1人の女性、1人の人間でありたい」常々こう語る中野(旧姓:岡本)真理子さん。一般には1976年のモントリオールオリンピックにおいて予選から1セットも落とすことなく優勝した日本女子バレー最強チームの主将として知られている。しかし、中野さんが子供の頃虚弱児であったことを知る人は少ない。「本当に生まれたときから体も弱く、学校では保健室の先生と仲良しになるくらいスポーツとは縁のない子供でした」子供の頃の中野さんは、体を動かすことよりも読書したり、絵を描いたりといったことの方が多かったし、好きでもあったという。「今でも元スポーツ選手というだけで『丈夫そうですね』『大きいですね』といったことを言われるのですが、私という人間を知ってもらうためには見た目でない、私のバックボーンを知って欲しいと必ずお答えしています。人間ってとかく見た目だけで判断しがちですよね。もちろん見た目から感じるファーストインプレッションも大事ですが、その人間の内にあるものをくみ取っていくことが人付き合いの基本だと思います」 そんな虚弱体質であった中野さんがバレーボールと出会ったのは中学2年生の時。これは中野さんの人生における恩師の1人武田先生との出会いでもあった。 それまでも体は弱いが、運動神経は発達していた中野さん、実は駆けっこにおいては負け知らずでもあった。それまで虚弱だということで、スポーツはダメだという烙印を押されていた中野さんの本質を武田先生が見抜いたのだ。

「この子は体力的にはだめかもしれないが、良い筋肉をしているし、動きもシャープだ、と目を付けてくれたのです。これは私に取って大きな喜びでした。自分の優れた部分を見つけて、誉めてもらえるというのは子供にとっては大変嬉しいことなのです。私も今でこそ教育の現場で講演させていただく機会も多いのですが、その際には必ず『その子の一番良い部分を見つけだし、誉めてあげてください。そのことで子供は自信を手に入れるのです』といったことをお話ししています」中野さんは体のことを心配してバレー部入りに反対していた両親を必死の説得で説き伏せ、自分を必要としてくれる居場所を見つけた。ここからわずか5年後に日本代表として日の丸をつけるとは中野さん自身想像もしていなかった。高校でも浅野先生という人生の師に巡り会い、努力ということを覚えた中野さんはバレーボールとはチームスポーツである以前に個人スポーツであると語る。「確かに組織として一つの目標を持って、そこに向かっていくというのは大事なことです。しかし、そのためには個人個人が与えられた責任を果たすことが絶対に必要です。よくチームプレーという名の下に助け合っていこう、といったことを言う人がいますが、こういった人は本当の意味での勝負を知らないのでは、と思います。本当のチームプレーとは他人に甘えることなく、個人個人が自分の責任をきっちり果たしたときに初めて生まれるのです」

勝負事には厳しい中野さんだが、勝負師である以上に人間としての礼節を重んじる。こんな隠れたエピソードがある。全日本チームの試合での出来事だ。相手のスパイクにあるスター選手の反応が遅れた。遅れたといってもわずかコンマ数秒のことなのだが、代表チームレベルになるとさすがに見逃さない。それを見た別の選手がそのボールを拾い、見事得点につなげたのだ。しかし、そのスター選手は試合後、ボールを拾った選手のことをチームメイトの前で罵ったのだ。「あれは私のボールでしょ。なんであんたが取るのよ!」 それを見た主将だった中野さんはそのスター選手を呼び、これまた皆の前で叩いたのだ。「あんた文句言う前に言うことあるでしょ。そんな態度ではチームメイトの信頼なんて得られないわよ」中野さんは勝負師としては、そのスター選手の態度は正しいという。勝負に拘り、自分の最高のパフォーマンスを常に発揮しようという姿勢はプロである以上当然のことだというのだ。

しかし、中野さんにとって我慢ならなかったのは、自らのミスを認め、それをフォローしてくれた人間に対して「ありがとう」の一言が先に来なかったということだった。「あのとき彼女が『ありがとう。でも、あれは私が取るべきボールでしょ』と言ったのだったら文句を言わなかったでしょうね。勝利を義務づけられているチームの主将としたら頼もしい後輩だということになるのでしょう。しかし、スポーツマンであってもそれ以前に人間として完成されていなければ、いい仕事なんて出来るはずがありません。それ以来叩かれた彼女は私には絶対服従でしたけど(笑)」中野さんは常にこの「人間として」という部分を重要視している。教育現場で講演する中で子供達に対しても、自分は講師としての高見から話すことだけはしたくない、という。むしろ、子供と同じ目線で、子供と同じ人間として話すことで自分も成長していきたい、と語る。そんな中野さんの姿勢が今なお子供達に「真理子先生」と慕われる要因といえそうだ。「子供、大人関係なく人間は誰でも可能性を持っているのです。その可能性にチャレンジしていった結果は誰でも『金メダル』なのです」こう語る中野さんは「努力」ということについてもっとシビアに捉えて欲しいという。

「よく『頑張ったんだけど』という人がいますが、そこで問題なのは果たして、本当に頑張ったのか、ということです。私たちのバレーチームはミュンヘンオリンピックでソ連(現ロシア)に負けて銀メダルになったときから、「世界一」ということだけを目標に練習しました。それこそ、生活の全てをそのために費やしたといっても過言ではありません。ソ連のフォーメーションの研究は20万通りものデータになったほどです。 4年間、遊びたい盛りだったのに頑張れたのは、やはりそこに目標を持っていられたからです。最後には『ここまでやったのに負けるわけがない』と思えるところまでになりました。努力した、という前に本当に自分の限界まで挑戦したのかどうか、それをもう一度見直して欲しいです。これはビジネスの現場においても言えると思います」また、指導者に対しては「教えない勇気」を持って欲しいという。指導者はとかく、自分のやり方を押しつけになりがちだが、人間は個性があり、それを最もよくわかっているのは自分。だからこそ、自分で考える場を作ってあげ、困ったときに背中を押してあげるのが指導者としての務め、というのだ。

個性を尊重し、相手の特徴を最大限に生かす、“中野流”指導法。この考え方は日本のプロ野球とメジャーリーグの違いを語ったときによく引き合いに出される。日本ではコーチがバッティングフォームやピッチングフォームなどをいじりすぎてしまい、有望な才能の芽を摘み取ってしまうケースも少なくないという。イチローなどは入団当時の監督に「その打ち方を止めなければ一軍では使わない」と言われたが「自分の人生は自分で決める」とあえて二軍に留まり、自分のフォームを貫いた結果が、現在の好成績につながっているという。こうした事例を見るにつけても、ビジネスの現場でも、方法論は個人に委ね、上司は結果だけを求める、というのが正しいあり方なのかも知れない。

バックナンバーはこちらから

ページの先頭へ戻る


Copyright© Sugou Arata All Rights Reserved.